ガイアと原子力 by Mory
2006年 11月 21日
かの有名なガイア仮説を唱えたジェームズ・ラブロックは、人類が生き延びるためには原子力エネルギーが必要だと、熱心に唱えている。自宅の庭に放射性廃棄物を埋めてもよい、それが漏れ出すことなどあり得ないと言う。原発に反対すること自体が迷信であり、反対派は何の科学的根拠も持ち合わせていないと。
では、北山耕平さんのブログの記事である。
1944年から1986年までのあいだに、核兵器と原子力発電の需要をみたすために400万トンものウラニウム鉱石がこれらの場所から掘り出され、放射能に汚染された鉱滓の大半がナバホの人たちの土地に撒きちらかされた。ざっと数えてそのうちの1000個所が、現在もなおそのまま放置され続けているのである。
ネイティブアメリカン、ナバホの人たちの放射能汚染禍の現状を世界に伝えるために、ロサンゼルスタイムスがキャンペーンを展開している。そのスライドショーをご覧頂きたい。
ネイティブアメリカンの人々は、地下資源を掘り出すことは母なる大地(ガイア)を傷つける行為であり、触れてはいけないものに触れることは災いをもたらすと言い伝えてきた。皮肉にも、その当人たちがアメリカ人が地下資源を掘り出した故の厄災を被っているのである。
技術者、科学者は技術論、科学論として原子力を語る。しかし、原子力は単純にテクノロジー、エネルギー問題ではない。政治、経済、マイノリティー・人口流出地域など弱者差別、人間が作り出す様々な社会構造を背後に抱えたモンスターである。それは、このナバホの人たちの現状(惨状といっていい)、日本国内で言えば六ヶ所村を初めとする原発関連施設の誘致、稼働を巡る動きを見ても分かる。
原子力エネルギーで得た電力を使い便利な生活を享受するのは、ぼくら都会に住んでいる人間たちである。しかし、原発がある地元では、賛成派反対派に街が分裂し、事故が起きたとき一番大きな被害を受けるのも地元の人たちである。
原子力エネルギーを使うなら、東京に原発を、ラブロックの自宅の庭に原発を、まずそこから始めてみるのが一番フェアだと思うのだが。都会に生きる一人の人間としてそう思う。
この原稿を書いている途中、北山耕平さんの「時の輪」講座でつながった、鍼灸師の聡哲さんがある文章を紹介してくれた。
人間とは、私達が宇宙とよぶ全体の一部であり、時間と空間に限定された一部である。私たちは自分自身を、思考を、そして感情を、他と切り離されたものとして体験する。意識についてのある種の錯覚である。
わたしたちの務めは、この牢獄から自らを解放することだ。それには共感の輪を、すべての生き物と自然全体の美しさに広げなければならない。実質的に新しい思考の形を身につけなければ、人類は生き延びることができないだろう
これはアインシュタインの言葉だそうだ。
原子力を人類が生き延びる道というラブロックと、共感がなければ生き延びられないというアインシュタイン。ぼくが共感するのは、後者だ。