『死の季節よ、さらば No More Dead Season』 その2 by Mory
2006年 11月 14日
その集落で働いていたノラは当時19歳。NSFW(National Federation of Sugar Workers)のオーガナイザーとして、サトウキビ労働者の自立に向けて精力的に仕事をしていた。学業を途中でやめ、村の人々のために生きることを選んだ彼女。その瞳には、未来への強い意志がみなぎっていた。村人からも信頼され、とても19歳とは思えない働きぶり。そして、オーガナイザーとして働くと言うことは、いのちを狙われる危険性も高くなる。
日本のお気楽な学生である自分との、その存在の落差にぼくは大きなショックを受けた。
学生でありながら、日本からネグロスへ来ることができるぼくに、ノラはどんな気持ちを抱いたのだろうか?ぼくとノラの間には、とてつもなく大きな隔たりがあった。まったくもってフェアでない関係。ぼくは彼女の住む土地を訪れることができるが、彼女がぼくの住む日本を訪れることは、ほとんど不可能だと言うこと。この世界は厳然たる不平等で成り立っている。そのことを痛烈に感じるしかなかった。
しかし、だからといって日本人が幸せで、彼らが不幸せか、というと、そう簡単に言い切れるわけでもない。
ぼくが訪れたいくつかの集落は、初めての外国人訪問と言うことでどこも歓待してくれた。毎日夜遅くまで、ネグロスの現状、日本のこと、様々な話を語り合った。
人々の表情はみな明るく、家の中には笑顔と心からのもてなしと、そして歌があふれていた。ただその状況だけを見れば、物質的な豊かさはなくとも心豊かで幸せな田舎の風景である。ありきたりの言い方をすれば、日本人が失ってしまった何かがそこにはある。だが、その暖かな家を一歩外に出ると、小さな幸せを踏みつぶそうとする大きな暴力が待っているのだ。
そんな彼らが心の底から笑いながら暮らすには、農園主から自立した暮らしを作るしかない。そのために外国のNGOが協力し、様々なプロジェクトが試みられた。ドキュメンタリーでは、その後が紹介される。今では自分たちの土地を所有し、サトウキビの裏作としてピーナッツを栽培し、収入を倍増させているグループもある。彼らは死の季節を克服したのだ。また農薬を使わず有機栽培したバナナは、日本の消費者の元に届いている。そのような成果が、州政府をしてネグロスを有機農業の島へ転換させる動きにまでになっているという。
その労働は楽しく、満ち足りている
このドキュメンタリーを見ながら、ぼくは考えていた。ぼくがネグロスを去ったあとの20年間、彼らの力になることをほとんどしなかった。自分の生活に埋没していき、彼らの存在を意識から消し去っていた。結局は自分が安全な場所にいて、危険と隣り合わせでいる彼らの所につかの間の刺激を受けに行ったに過ぎなかった、と今になって思う。
『オニババ化する女たち』の著者、三砂ちづるさんは言う。第3世界を訪れそこに住む人々の優しさ、明るさに触れ、「元気をもらって帰ってきました」と報告する学生に、「それは元気の搾取よ!」と。経済や資源どころか、ぼくらは彼らの元気まで搾取している。
ぼくらは彼らに何を返せるのだろうか。お金で彼らの生産物を買うだけでなく、もっと何か大切なものを返さなければ。大切なものを。
その後、ノラは無事で元気にやっているのでしょうか。昨今のフィリピン情勢を見ていると、そういう方の命が心配でなりません。